病理医ぱそ太郎の病理と日常

温泉好きのふつーの若手病理医、ぱそ太郎が病理、医療などについて日々考えることを綴ります。有益な情報を発信できればと思います。ぱそ太郎Lab.

AI (artificial intelligence 人工知能)時代の到来で病理医の役割は変化する。ぱそ太郎が考える事

今までのエントリーでは病理医の仕事や病理診断について話をしてきました。

最近、自動車業界の自動運転などでAI (artificial intelligence)の話題を日常でも耳にすることが増えてきたと思います。医療の世界でも研究・開発は進んでおり、病理では日本病理学会主導でもAIに関して、研究が行われていますので、形はどうであれ、AIが病理に入ってくる日は来るでしょう。

ぱそ太郎は、実際どこまでそういったことが進んでいるかについて具体的には知る立場にないので、もっと総論的に考えられる病理医の将来像についてこのエントリーでは書いていきたいと思います。

そもそも病理医の仕事の本質とは?

病理医の仕事といえば、組織標本の顕微鏡の観察での診断というふうに思われることが多いと思います。それは組織病理学です。これは、病理医の仕事の大きな一面ですが、仕事の全てではありません。病理医の仕事の本質は臨床材料(検体)すべてを対象とする病理総論の知識を用いた医学的判断だと思います。繰り返しますが、組織診断はその一部であり、病理医の仕事の一面に過ぎません。もちろん歴史的に19世紀の顕微鏡の発明、その後のウィルヒョウが確立した、顕微鏡観察を元にした細胞病理学の歴史があり、そういった歴史を背景に、組織標本の観察による形態判断は病理医の得意な方法の一つです。しかし、組織標本の診断は、臨床材料から病気・病態を判断するための一つのツールに過ぎません。そして、組織診断、細胞診、遺伝子診断、人工知能での形態診断支援、すべて、これらは臨床材料から病気・病態を理解するための単なる方法論であって病理の本質ではないのです。

組織標本や細胞診標本の形態診断だけに拘る病理医は不要になる

ここ数年の人工知能の進歩は著しく、病理の方法論の中で、組織標本の形態的所見を判断するということは、技術的には大部分AIで代替可能になると思います。少し、過激なことを書きますが、病理医の中には、組織標本の所見を取ることや免疫染色の解釈には熱心でも、臨床的な解釈や、マクロ所見を軽視する病理医が多数います(ベテランの病理医であっても)。また、「組織標本上は・・・です」「標本上の所見のみからは・・」といった所見の記載に終始し、臨床的な事項について考慮しない病理医の姿もよく見られます。もちろん形態判断はAIで大部分代替可能といったところで、形態診断のみでバシッとわかることも多いですが、そうではないことも多いのが実際です。形態診断だけで、わかることはわかるし、わからないことはわからない、というところだと思います。言い換えればAIによる形態判断で、わかることはわかるし、分からないことはわからないということです。この理屈からいうと上のような組織標本上の所見でしか判断しようとしない病理医の役割が小さくなることは自明ですね。そういう病理医はAIに取って替わられる存在ということになります。単なる形態の判断は、ここ数年の人工知能の進歩は著しく、数年後には、普通の病理医がルーチンとして組織診断をする程度の仕事は技術的には可能となり、10年後ぐらいには実際の業務の中にも入ってくるのでは?とぱそ太郎は予想しています。そうなれば、標本上の所見のみを判断することに終始している病理医の役割は小さくなるでしょう。つまり、病理医が形態を見てバシッとわかってしまうようなことは、人工知能でもバシッと判断できてしまうでしょう。

AIで代替可能な形態判断だけを仕事にしていても面白くない

今までのエントリを読んで下さっている方はよく理解して下さっていると思いますが、病理医の仕事のウェイトは、確かに組織標本の診断に多くを占められていますが、実は、それ自体が仕事の本質ではないのです。ですので、形態診断が人工知能で大部分代替可能であったとしても、決して病理医の仕事がなくなると悲観することではありません。臨床材料の病理学的な視点での判断ということが仕事の本質であると、繰り返し書いてきました。今までの歴史では組織標本の形態判断という方法が有用であったため、利用していたに過ぎないのです。つまり組織診断は単なる方法論の一つです。これからの時代、ある程度の形態診断ができるのは病理医としてはあたりまえですが、人工知能で代替可能な組織や細胞の形態診断のみに拘って、その技術を磨くことだけをしていても面白くないのでは?というのが若手病理医ぱそ太郎の実感です。

AI時代の病理医の役割とは?ぱそ太郎が考える事

それでは、AI時代の病理医の求められる役割とはどういったことになるでしょうか。組織標本の所見を書くだけの病理医は不要になります。では、AI時代の病理医の役割はどうなるでしょうか。今後大切さを増してくる役割の一つは、様々な複雑化する方法論があるなかで、検体あるいは検体から得られた結果と患者さん、そして臨床医の間を埋めることだと考えます。AIで組織の形態的な所見の判断はかなりできるようになったとしても、その結果が実際の患者さんに適応できるか、また、どういった状態の患者さんから得られた検体かという総合判断が必要です。また、臨床医は病理で何がわかるか、どこまでがわかることなのか、ということについて、十分理解していないことも多いと思われますので、検査の適応についての情報提供も必要です。また、他の方法論(細胞診、遺伝子診断、血液像、FCM)についても知識を持ち、一人の患者さんについては統合して判断し、臨床医と議論することが求められるでしょう。例えば、同じ遺伝子異常であっても違う疾患のこともありますので、遺伝子診断に組織学的な判断も加える必要があるケースもあります。組織標本の免疫染色とFCMは感度が違うので同じ疾患をみていても、一見、結果が乖離することがあります。このように、個々の方法論の解釈は単純ではありません。また、固定条件の差異など検体の扱いによっては、十分な結果がでていないことも考えられます。正しい臨床材料の扱い方について、臨床医への情報提供が必要ですし、検査室内での精度管理も必要です。このように臨床材料に対する様々な方法論が複雑化する中で、病理医が扱うべき事項は様々になってきます。他に、直接的な診療以外では、病理解剖、CPCを通しての研修医教育、画像と病理の対比を含めたカンファレンスの対応など多岐にわたることが求められると思います。このように、AI時代の病理医は、組織診断という方法論のウェイトが小さくなり、臨床材料から得られる情報と臨床・患者さんをつなぐこと、間を埋めることが役割として求められるとぱそ太郎は考えています。つまり組織病理医から、臨床病理医への変化が求められるであろう、ということです。

今回は、少し大きなテーマでした。

 

病理医とは、という点では他にも記事を書いています。

 

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 病理開業を軸に病理医の役割について書いています。病理開業シリーズのエントリもご覧ください。

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